快適性の追求には経験が必要

ある程度の失敗も考慮の上で…

生活環境に求める快適性は、最初から何の障壁もなくスムーズに行くことはないような気がします。もしも、最初から快適に感じているとすれば、どこかで妥協や辛抱を踏まえて解釈しているかもしれないからです。

例えば、「今までよりはだいぶマシ」というように、より悪い比較対象があるお陰で、良く見えるというのも一つだと思います。

もしも、そうした比較無しで自分の中で求める理想的な快適空間を実現するとなれば、そこには、ある程度の失敗数の積み重ねが必要となるような気がしなくありません。

前々回は、ここがいまいち不便だったから改善したが、前回は、ここが別の問題として出てきた。そして、今回は、その二つの問題をクリアし、さらに、快適に感じるもう一つのメリットがあるというように、比較対象とは別に、失敗というか、改善したいポイントが明確になる事で次はどうしようかという事に繋がっていく事になります。

と、抽象的な内容になっているかもしれませんが、この快適性は、例えば、机一つを題材としても言える事だと思います。

広さや高さ、材質はどういうものなのかなどですが、個人的にも、仕事用の机に関しては、より快適なものを求めて、今までに10回位切り替えていると思います。

その半分は、家族が別の用途で使ったりしていますが、もう半分は、残念ながら処分してしまいました。

その位、快適性を追求するとキリがありませんが、そうした経験のお陰でようやく落ち着く机がどのようなものかイメージできるようになり、それに近しいものを見つける事ができた気がします。

途中で妥協を受け入れるのであれば、それに順応し慣れていく事も一つの方法ですが、自分に合わせた快適さを追求するなら、実際に使ってみて心地よく使っていける事が重要なのではないでしょうか。

特に日常的に利用頻度の高いものに関しては、それだけ、人生の時間をともにする事が多くなるので、投資の仕方も変わってくると思います。